Genseiryu Karate-do Kyohan 2/ja

From Genseipedia
Jump to navigation Jump to search
  • 著者: 土佐邦彦
  • タイトル: 玄制流空手道教範2型編
  • 出版業者: 昭和59年7月1日初版発行
  • 言葉: 日本語

玄制流空手道教範の発刊に思う[edit]

玄制流空手道宗家 祝嶺正献[edit]

祝嶺正献

空手道が世界各国へ普及発展し、今まさに時代の脚光を浴びクロ-ズアップされてきました。この現状の中で、空手道の愛好者らが斯道のもつ特殊な性格に魅了され心酔しているだけではいけません。この時機に空手道の内容を真剣に見つめ、実技教習の正しいあり方を認識する必要があります。空手道界では古くから、型と組手を絶対有用な訓練法として踏襲し実地にそれを行ってきました。従ってこの両者を如何に修得し効果をうるかによって、空手道の性格を知り・内容を解し・実技を高め・試合に勝れ・最後に武道の根源にある奥義を得ることに心掛ける必要があります。訓練法のこのような事理を達観して、土佐邦彦師範が玄制流空手道の型を集成して指導教書を出版することになりましたが、この大業は後世に伝えられる盛事であります。私はこの教本で所感の一端を迷べる機会を与えられ、誠に光栄至極のことであり快事この上ないものと喜んでいます。

不肖私が玄制流空手道を創始するにあたって、先ず初期段階で考えていたことは、武技へ速度と角度を巧みに導入して威力を発現する方法を産み出すことでした。そして中期段階で気づいていたことは、実技で虚と実に対応するための合理的な攻防と実戦的な攻防のあり方を完備することでした。そしてさらに終期段階で求めていたことは、玄制流を完成するために基本技と型で身体の全運動機能を高める方法を講じ、他流派との差異を明確に打ち出すことにありました。玄制流を創作するためのこの狙いは確かに当を得ていましたが、空手道界で玄制流が熟成し完結していたとは言えません。しかし、現在でもこの要点となるべき指導目標は継承され、後進の指導者らによって玄制流独自の強烈な特性が活かされているようです。特性の有無で物事の存在価値は測りかねますが、凡そ武道に関して言えば、特質もなければ理論もない流派の存在は無価値に等しいものであります。

戦後空手道の変遷の中で、「空手の型無用論」 が少数の大学空手部学生らによって唱えられ、その関係大学で型の試合を廃止していたことがありました。当然のことながら、型がその武道自体の技法を集約した原形である限り、型の所作は伸展的に実技として応用でき、創作のための要素を備えているはずなのに、それを無視した型無用論は心得ある者の論理ではないのです。ところで、厳正確実に継承されるべき型とはいえ、時間と空間の中で常に変化し形骸化されていく傾向にあります。その必然的な理由は、人によって人に伝えられる型に不変不動のものがないという点にあるようです。また何よりも、型を解釈し応用する場合の一定の基準が明示されないままに、個々の指導者らの独断と主張で正当化されてきたところにあります。空手道の多種多様な型がこのような不碓定の形で支えられていることは、各流派の存立さえ危くすることになりかねないでしょう。

今般、土佐師範が玄制流空手道の将来を推知する高い見識をもって、型の指導教書として本書を出版しようと意図したことは、時代の流れと共に変値変化を余儀なくされている型の性格をとらえ、現行の玄制流空手道の型を間違いなく伝承できるように、道標を明確に示すためのものだと思います。玄制流の指導教書は単なる手引き書ではなく、空手道の本質が学びとれる内容をもつ、根源的な教書でなければ無意味なものとなります。もちろん、指導教書を学んで知るだけでは真の知識は得られないだろうが、特定の流派で所定の指導方針を貫くうえで、教書のもつ有用性を充分理解する必要があります。そして空手道の中の各流派は、空手道全体の思潮を正しく修得することを目標に、武道の中各種流派は、武道全体の意義を正しく理解することを課題として、各々の流派の原点を学びとらなければ教える資格はないものと自戒し、自己を正さなければなりません。

玄制流空手道の実技は応用的に広がり、創造的に高もっていく内容・可能性をもっているものと確信します。無論、流派内で発展的に完成された実技は、現空手道界のルールの中で適用できるように創意工夫し、斯界全体の状況の反映として認定される実技であることが前提条件となります。その条件を充足する方法について、私の意見を申し述べることは紙面に限度があり、残念ながら割愛せざるを得ません。そこで最後に、玄制流空手道を愛好する皆様方に附言しておきたい事は、空手道は真技を求めて修業すべき道であり、その真技を体認することによって道が開け、さらにその道の彼方で、武道の普遍的な奥義が体得できるということです。奥義へ到る出発点は、まさに型の教習にあると申しても過言ではありません。土佐師範が精魂を傾注して上梓されたこの型の指導教書を確実に活用して、玄制流空手道の本質を求め研修に精励あらんことを切望いたします。